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5件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2011-07-27 第177回国会 衆議院 文部科学委員会 第15号

「採集や狩りによって生活する」から始まって、「稲作、金属器使用が始まる」、「銅鏡 銅剣 銅鐸 銅矛」、並び方も全部一緒。「六四五 大化の改新」、「公地・公民の制」そして「改新政治が進展する」に至るまでぴったり同じ。  調べてみたら、この後もずっと続いて、「一九九七 アイヌ文化振興法制定」までの百八十項目余りで出来事の選択がぴったり一致。うち、九項目を除いてはすべて表現まで一致しております。  

宮本岳志

1999-07-15 第145回国会 衆議院 予算委員会 第21号

その中で金属器人間が手にする、そのことによって農業社会ができてきたわけでございます。そして、その農業社会から今度は産業革命エネルギー動力蒸気機関という動力をワットが発明するわけですが、そこからいわゆるエネルギーというものを、その技術を人間が手にした、そのことによって工業社会というものになった、これが三百年近く続いてきた。  

斉藤鉄夫

1992-02-04 第123回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査会 第2号

そして最後に、金属器の鋳造が行われて、またこれが森の破壊を助勢するということでございまして、この農耕牧畜文明、そしてその上にできた都市文明というのがやっぱり自然破壊を行ったということは否定すべくもありません。  これは、大変おもしろいのでございますが、最初に都市文明をつくったのは今のメソポタミア地方にいるシュメール族でございます。

梅原猛

1957-05-08 第26回国会 衆議院 内閣委員会公聴会 第1号

そして農耕でありますとか、あるいは金属器使用というものが始まりますのが、それから以後三世紀後のことでありまして、文化の発展の一般的な事情から考えまして、石器時代の日本人が暦を知っている、あるいは文字を使用していたということは考えがたいことであります。そして暦がもし知られていなかったといたしますと、神武天皇即位の年月日というようなものを後世に伝える方法はなかったであろう、こういうことであります。

井上光貞

1957-05-08 第26回国会 衆議院 内閣委員会公聴会 第1号

考古学の方面から申しますと――私は考古学の専門ではありませんけれども、大体は金属器であります青銅器が輸入されるのと、おそらくはとんど時期を同じゅうして入ってきたというふうに考えられております。従って今の鉄器の話は、絶対年代の上からというと紀元前三、二、一世紀ごろから以後、大体紀元前三世紀から紀元前一世紀ごろ、あるいはそれからややおそいころというふうに私は考えます。

井上光貞

1947-12-04 第1回国会 衆議院 本会議 第71号

第二に遺物に関しましては、この登呂遺跡彌生式土器時代であつて、金属器とともに石器をも使用していたことがわかり、木器の製作から見て、当時すでに鉄製のちような、のみ、小刀の類が存在していたことがほぼ明らかとなり、木器、木製品がおびただしく出土し、その中には、すき、くわや田下駄のように、現在農民の間で用いられているものも少くないことがはつきりし、或はまた、彌生式時代発火法——火をおこす方法が初めてわかり

福田繁芳

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